ドイツに来て語学ビザ取得からワーホリ終了までの生活

今回は時系列で過去を追っていきます。

スポンサーリンク

2016年10月~5月 語学ビザ

1人では何もかもやっていけません。
ワールドフットボールコネクション株式会社さんに住居や学校、チーム紹介、ビザなど生活面を含めサポートしてもらいました。

10月にドイツへ入国したときは観光ビザで、語学学校の手続きをして語学ビザを取得。

当時のスケジュール
〈午前中〉
学校の予習、ドイツ語の自主学習

〈午後〉
語学学校

〈夜〉
現地のサッカーチームでトレーナーとしてお手伝い

夜は週3回サッカーチームでのお手伝いをして、おこずかい程度のお金を貰っていました。

徐々に環境にも慣れ、2017年初めからから他のサッカーチームにも行くことになりました。


2017年初めのスケジュールは週4回サッカーのチームで経験を積むことになります。

2017年4月ごろから3つのサッカーチームを掛け持ちすることとなり、それなりに充実した日を送りました。

引き続きワールドフットボールコネクション株式会社を介してチームを紹介してもらい、5月中旬には現在の所属先である1.FFCフランクフルトに7月から仕事をすることが決まりました。

〈当時の心境〉
ドイツに来てから本格的にドイツ語を始めます。
ドイツ語を勉強すればするほど理解でき、伸びていくのを感じたので勉強が楽しかったです。

仕事が出来ないので生活するのがいっぱいいっぱいな時期でもありました。

昼はパスタ、夜は豚肉。
週5回は同じものを食べ、月々いくら節約できるかを目標に毎日家計簿をつける日々

最終的にはチームでの仕事も3つ掛け持ちするようになり、おこずかいもそれなりに貰えるようになりました。

2016年7月~2017年6月 ワーホリビザ

当初、チームで働くのはU17世代で練習は週3回でしたが試験的に週2回だけ1軍の練習にも対応することになりました。
話が出た経緯は色々あると思いますが…

生活する為に昼の仕事を探さないといけません。

7月頭から始め、決まったのは8月頭でした。

日本食レストランは夜の人材を募集していることが多く、夜に仕事ができない僕はことごとく断られました。

最後応募してダメなようならドイツ人経営のレストランに応募するしかないと、とてもお世話になった日本食レストランに応募。

昼の人材を募集していたので、運よく仕事を決めることが出来ました。

新しいチームでの仕事でも引き続き1軍を担当することが決まり、1軍の前泊アウェー試合時も帯同が決まります。

当時のスケジュール
〈正午〉12時~14時半まで
レストランで仕事

〈午後〉16時~18時、もしくは17時半~19時半
チームで仕事

〈週末〉
1軍のアウェー試合もしくはU17の試合帯同

今思えば働き過ぎですが、当時はワーホリビザ後の就労ビザを取る事しか考えていなかったので必死です。

レストランの方々のアドバイスもあり、

すぐに就労ビザを申請できるように4月から社会保険、年金、健康保険を払い、レストランでの仕事量を増やしていきました。

〈当時の心境〉
この1年間はワーホリ後に日本に帰るのか、ドイツに残れるのか不安でした。

いろいろな経験した1年でもあります。

輸入品をコンテナから移動させる仕事。
20kgの醤油がコンテナいっぱいで届き、2時間かけて人力で下ろします。
この時にドイツ人のパワーを思い知らられ、僕には無理だと思いました…

毎日チームにいると膝のケガや骨折などハプニングも沢山起こります。
慣れないうちはとても対応に困りました。

言葉が通じるわけでもなく、今まで女子チーム担当したこともありません。
沢山の人に相談しながら、助けてもらいながらやりくりしました。

6月末のビザ期限が迫ると毎日落ち着きません。
今後どうなるのかそんな事を考え、仕事も手に着かず精神的に不安定な日々を過ごしていました。

ドイツに来てすぐ、当初のプラン

半年の語学留学と1年のワーホリを終えると日本に帰ろうと考えていました。

期限が近付くにつれて

もう少しドイツに残りたい
今帰っても何も残らない

そう考えるようになりました。

結果的にはドイツに残れることになりますが、周りの人達の助けがあったからこそ。

自分一人では何もできないと思い知らされました。