意見が求められるドイツ社会

motointermediaによるPixabayからの画像

先日、練習場の管理人が大声で1時間ほど議論していました。

「毎日練習場の芝生を刈らないといけないのに、朝から練習していたらそれができない。」

といった内容。

先週は練習前にやった。

それに対して、

 

勤務時間が長くなる。

とそれぞれ主張していました。

 

議論は翌日も続いていました…

やらないといけない業務を早く来てやること、労働時間の問題を主張すること。

どちらも間違ってはいません。

こういった議論が日常で行われています。

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僕の視点

怒っている?

初日は廊下に響き渡るくらい大声で話していたこともあり、喧嘩しているのかと。

それまで大声で意見をぶつけ合う場面に遭遇したことが無かったので驚きました。

しかし、考えてみれば自分の意見を求められる場面はたくさんあります。

仕事中も、ドイツ語の授業でも…

そのときに感じるのが、自分の意見を言うことに慣れていないということです。

もう1人の管理人の視点

これは必要なこと。

僕がもう1人の管理人に少し呆れぎみに、

oma toshi
oma toshi

まだ議論してるの?

と聞くと、彼はそう答えました。

打開策を見つけていくのに必要な過程ということ。

議論することは相手に対して嫌なイメージを持っていないと認識の違いを感じました。

もし僕が同じ立場なら

完全に押し負けるでしょう。

何かに対して議論する。というのは不得意分野。

自分の考えていることが、意見なのか・文句(不満)なのか発言する前に考えてしまいます。

不満を自分の意見として発言するのも大事です。意見を言わないといつまで経っても変わらないというのも理解しています。

しかし、良くも悪くも相手の顔色を伺って話すことが多いので、どんな状況でも発言するというのは難しいです。

まとめ

日常に起きたことを自分に照らし合わせて考えました。

チーム方針に関して、選手が監督に意見する。というのも日々目にします。

日本だったら絶対にあり得ないよな。そんなこと言えば干されるんじゃないか。

というシチュエーションもありました。

自分はこう考えている!と言葉が話せなくとも自分の意見を言えるようになれば、海外生活に馴染んできたかなと思います。